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国立新美術館
国立新美術館
〒106-8558 東京都港区六本木 7-22-2


Louvre 国立新美術館
Louvre 国立新美術館
Louvre 国立新美術館
Louvre 国立新美術館
 人の似姿を描く肖像芸術は、古代より長い歴史をもつ芸術ジャンルです。 肖像はいかなる役割を担ってきたのか。 肖像の制作にのぞんだ芸術家たちは、どのような素材や手法を用い、どのような表現を生み出してきたのか。 本展は、ルーヴル美術館の豊かなコレクションを通して、肖像芸術の社会的な役割や、その表現上の様々な特質を浮き彫りにするものです。

 本展には、ルーヴル美術館が誇る肖像画の傑作、ヴェロネーゼの 《美しきナーニ》 をはじめ、3000 年以上も前の古代エジプトの棺用マスクから、古代ローマの皇帝、ルイ 14 世やナポレオンなどの君主像、華麗な女性や愛らしい子どもたちの肖像まで、数々の肖像の名品が堂々集結します。 肖像芸術の世界を余すところなくご堪能いただける、かつてない展覧会です。

 “美の殿堂” ルーヴル美術館、全 8 部門による全面協力のもと、およそ 110 点の傑作が一堂に会します。 これまでに例を見ない大規模な肖像展を通して肖像作品がもつ魅力を広く伝えるべく、企画構成になっています。


会期: 2018 5/30 [水] 9/3 [月] 展覧会は終了しました。
休館日: 毎週火曜日(ただし 8月 14日(火)は開館 )
開館時間: 午前 10時 ~ 午後 6時 (毎週金・土曜日は、5・6月は午後 8時まで、7・8・9月は 21時まで)
特別夜間開館を決定! 8/27(月)、8/29(水)~9/2(日)は夜 9 時まで
※入場は閉館の30分前まで

会場・東京展:
国立新美術館企画展示室1E (東京・六本木)
主催:国立新美術館、ルーヴル美術館、日本テレビ放送網、読売新聞社、BS日テレ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(大阪展)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会期・会場・大阪展: 2018 9/22 (土) -2019 1/14 (月・祝) 大阪市立美術館(大阪・天王寺公園内)

主催・大阪市立美術館、ルーヴル美術館、読売テレビ、読売新聞社

'2018 5_29 「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」の開会式&プレス内覧会のご紹介です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

「ルーヴル美術館展」開会式(国立新美術館)

「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか
開会式 '2018 5_29
国立新美術館 (東京・六本木)



ルーヴル全 8 部門が総力を結集!
各部門を代表する肖像の傑作およそ 110 点が一堂に!

「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」
図録、Press Release、プレス説明会、他よりの抜粋文章です ―

「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」 【見どころ 】
・1 史上空前! 古代から 19 世紀まで、「肖像芸術」 の特質と魅力をひもとく本格的な展覧会―本展では、3000 年以上も前の古代メソポタミアの彫像や古代エジプトのマスクから 19 世紀ヨーロッパの絵画・彫刻まで、きわめて広範にわたる時代・地域の作品を対象としながら、肖像が担ってきた社会的役割や表現上の特質を浮き彫りにします。
・2 ルーヴル全 8 部門が総力を結集! 各部門を代表する肖像の傑作およそ 110 点が一堂に―本展は、ルーブル美術館の全 8 部門―古代オリエント美術、古代エジプト美術、古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術、イスラム美術、絵画、彫刻、美術工芸品、素描・版画―が総力をあげた企画です。
・3 ルーヴルが誇る 肖像画の至宝 《美しきナーニ》、27 年ぶりの来日―16 世紀ヴェネツィア派の巨匠ヴェロネーゼによる 《美しきナーニ》 は、ルーヴル美術館が所蔵する数々のルネサンスの肖像画のなかでも、最高傑作の一つとして名高い作品です。
・4 必見! 時の権力者ナポレオンの肖像―本展では、古代エジプトのアメンへテプ 3 世、マケドニアのアレクサンドロス大王、アウグストゥス帝やカラカラ帝などのローマ皇帝、ルイ 14 世をはじめとする歴代のフランス国王、そしてフランス王妃マリー=アントワネットなど、歴史を彩った時の権力者たちの肖像が一堂に会します。 なかでも大きなみせどころとなるのが、フランス皇帝として名を馳せたナポレオンのコーナーです。 将軍時代を経て、皇帝として最高権力を手にしながらも、追放先の孤島で孤独な最期を迎えることになったナポレオン。 その激動の人生を、アントワーヌ=ジャン・グロの傑作 《アルコレ橋のボナパルト(1796 年 11 月 17 日)》 をはじめとする 5 点の作品でたどります。

展示構成 (スライド画像と解説・抜粋文でご紹介しています。)
プロローグ: マスク―肖像の起源
第1章: 記憶のための肖像
第2章: 権力の顔
第3章: コードとモード
エピローグ: アルチンボルド―肖像の遊びと変容


画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

'2018 5_29 「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」 のプレス内覧会風景と展覧会説明会、図録、「PRESS RELEASE」などからの抜粋文章です。

《棺に由来するマスク》

プロローグ: マスク―肖像の起源
 古代エジプトでは、来世での生を死者に確約するために、亡骸をミイラにしました。
古王国・中王国時代 (前 2700 頃-前 1710 頃) はミイラの頭を直接マスクで覆いましたが、新王国時代 (前 1570 頃-前 1070 頃) にはミイラをかたどった人型棺が普及し、その蓋の頭部がマスクで飾られるようになります。

 この時代のマスクの顔は、故人の容貌に似せたものではなく、理想化・様式化された顔でした。 しかし時代が下って 1-3 世紀頃になると、ミイラの顔は板に描かれた肖像画で覆われるようになります。 「ファイユームの肖像画」 と通称されるこのタイプのミイラ肖像画では、写実性・肖似性が重視され、故人の顔立ちが生き生きと描写されました。

 来世で生き永らえるという同じ願いに根差し、同じエジプトで制作されながら、対極的な表現をなす 2 つのマスクは、あらゆる肖像作品に通底する 「理想化・様式化」 と 「写実性・肖似性」 という問題を象徴的に示しています。

《女性の肖像》

左・cat.1 《棺に由来するマスク》 エジプト出土 新王国時代、第 18 王朝、アメンへテプ 3 世の治世 (前 1391-前 1353 年) 木、黒色・白色の石、青色のガラス 高さ 18 cm 幅 17 cm 奥行 11 cm パリ、ルーヴル美術館 古代エジプト美術部門/右・cat.2 《女性の肖像》 エジプト、テーベ(?)出土 2 世紀後半 蝋画/板(シナノキ) 高さ 33 cm 幅 20 cm(最大) 厚み 0.2 cm(最大) パリ、ルーヴル美術館 古代エジプト美術部門

 左・cat.1 エジプトのミイラの棺は、初期王朝時代 (前 3100-前 2700 頃) は長方形でしたが、新王国時代 (前 1570 頃-前 1070 頃) にはミイラをかたどった木製の人型棺が広く普及しました。 本作は蓋の頭部を飾っていたマスクの顔の部分で、本来は釘で蓋に固定されていました。 その顔立ちは、故人の容貌を再現したものではなく、来世で永遠の生を得るにふさわしく理想化された顔の定型表現に従っています。 右・cat.2 エジプトがローマ帝国の支配下にあった 1-3 世紀頃には、ミイラの頭部を飾るために板絵の肖像画が盛んに制作されました。 これらのミイラ肖像画は、19 世紀末にファイユーム地域で数多く出土したことから 「ファイユームの肖像画」 と呼ばれます。 蜜蝋と顔料を混ぜて描く 「蝋画」 の技法を用いて、顔や髪型から衣服まで実物に即して描写されており、おそらく生前に描かれたものと考えられています。 ローマ美術の写実表現の影響を受けたこの時代のエジプトでは、ミイラ肖像画も故人に似せていることが重視されました。 本作でも、大きな瞳が印象的な女性の顔立ちは、鼻筋やあごのラインに微妙な陰影がほどこされ、緻密に描出されています。 真珠のイヤリング、大粒の金の首飾りなど豪華な装身具の描写から、上流階級の女性と推測されます。



アントワーヌ=ジャン・グロ(1771-1835)《アングレーム公妃マリー=テレーズ=シャルロット・ド・フランス(1778-1851)》

第2章: 権力の顔
  記憶と並び、肖像芸術が最も古くから担ってきたもう一つの役割が 「権力の顕示」 です。 王や皇帝など最高権力を振るった君主にとって、自らの似姿である肖像は権勢を広く知らしめる最も有効な手段でした。
 
 アレクサンドロス大王は、自らが与えるイメージをコントロールすることに腐心した。 彼は 3 名の芸術家のみにしか、自分の肖像を表現する権限を与えなかった。

 フランス革命は、王権神授説のフランス王政に終止符を打った。 しかしながら、フランスの君主を肖像化する際に用いられてきた古くからのコードを、革命は完全に消し去ることはできなかった。 社会にじわじわと広がる民主化によって、ついに国家元首である君主の肖像にも近代的な観念が導入された。 ナポレオン 1 世は、その治世の末期、ナポレオン親衛隊・近衛擲弾兵連隊司令官の簡素な制服を着た自分の肖像を描かせ、それを広めることを重視した。

 古代ギリシャ・ローマから受け継がれた古典的表現コード―短髪、むき出しの首、古代風の衣紋、胸像あるいはプロフィールでの描写―が、19 世紀に至るまで長い間存続されてきた。 しかしながら 18 世紀以降、法律や思想、当代の慣習などの改革に身を投じてきた、啓蒙の哲学者のような知識人を肖像化する際に、この方式は議論され、再検討された。 君主の肖像の場合、衣装や容姿や服装によってモデルの有する権限や権力を判断することができる。 しかし一人の天才のたぐいまれな独創性という、偉大な人物の定義として 19 世紀以降生れた新たなカテゴリーを説明する場合、それらはもはやつまらない付属品でしかない。

第2章: 権力の顔

左・cat.70 アントワーヌ=ジャン・グロ(1771-1835) 《アングレーム公妃マリー=テレーズ=シャルロット・ド・フランス(1778-1851) 1816 年(1817 年のサロンに出品) 油彩/カンヴァス 257 x 182 cm パリ、ルーヴル美術館 絵画部門/中・cat.74 ジャン=アントワーヌ・ウードン(1741-1828) 《アビ・ア・ラ・フランセーズ (フランス式の宮廷紳士服) をまとったヴォルテール (本名フランソワ=マリー・アルエ)(1694-1778) 1778 年 大理石/大理石の台座 高さ 48(台座を含む高さ 63) cm 幅 44.3 cm 奥行 35 cm パリ、ルーヴル美術館 彫刻部門/右・cat.76 ジャン=アントワーヌ・ウードン(1741-1828) 《古代風の衣服をまとったジャン=ジャック・ルソー(1712-1778) 1778 年 ブロンズ/大理石の台座 高さ 45(台座を含む高さ 60) cm パリ、ルーヴル美術館 彫刻部門

【 2b :権威ある女性】

左・cat.70 ―1816年、グロはアングレーム公爵夫人の肖像を手がけた。 彼女こそルイ 16 世とマリー=アントワネットの長女であり、またフランス革命において生き残った唯一の王家の子どもである。 グロはナポレオン 1 世の栄光と密接に結びついてその名声を得た画家であるが、第一帝政の崩壊後は復興したブルボン王家に仕え、絵筆を揮った。 「マダム・ロワイヤル」 の異名を持つ王の娘は、叔父のルイ 18 世が妻に先立たれていたため、王家のファースト・レディーでもあった。 アングレーム公爵夫人は、即位したことが一度もないにもかかわらず、あたかも王妃のように表現されている。

【 2c :精神の権威―詩人、文筆家、哲学者】

中・cat.74 ―ウードンはおそらくヴォルテールが逝去する数週間前に、胸像をパリの工房で制作した可能性がある。 批評家グリムは 1778 年 5 月の 『文芸通信』 の中で次のように述べている。 「ウードン氏にとっては、完璧な表現をものにするために 2、3 度のポーズの時間しか必要なかった。 これほどの魅力、これほどの知性を持って彼の顔つきを表現した者はいまだかつていない。 完全なる輝き、完全なる明敏さ、最も心地よく、機知に富んだ瞬間の彼の表情の特徴を完璧に捉えている。 瞳には生気がみなぎっている」。 ウードンによるヴォルテールの肖像は、瞬く間に広く知られるところとなった。 右・cat.76 ―ジャン=ジャック・ルソーは、晩年、エルムノンヴィルのジラルダン侯爵宅に滞在していた。 1778 年 7 月 2 日朝に訪れたこの哲学者の突然の死の後、ウードンは伯爵から真夜中に呼ばれ、故人の顔の型取りをするように依頼された。 彫刻家は、ヨーロッパでもっとも名高い偉人の一人であるルソーのデスマスクを制作することを、たいへん誇りに感じていた。 その顔立ちから密接に着想を得て、ウードンはそれを作家の最も良い表情へと発展させ、数多くの肖像を生み出した。 1778 年 11 月 14 日、ルソーの胸像が彼の工房で公開され、大いに関心を呼んだ。


第3章: コードとモード
  古代以来の 「記憶」 のための肖像、そして 「権力の顕示」 のための肖像は、王侯貴族や高位聖職者のみが制作できた特権的なジャンルでした。 しかし、ルネッサンス以降のヨーロッパでは、社会の近代化に伴ってブルジョワ階級が次第に台頭し、有力な商人や銀行家から、さらに下の階層まで、肖像のモデルの裾野が広がっていきます。 こうした肖像は、古代より培われた上流階級の肖像表現のコード (決まった表現の仕方・表現上のルール) を踏襲しつつ、一方では各時代・地域・社会に特有のモード (流行) を反映しながら、じつに多様な展開を遂げました。
 
 本章では、ルネサンスから 19 世紀までのヨーロッパ各国の肖像作例を、男性、女性、子供と家族などの主題別に紹介しながら、コードとモードが錯綜する中でどのような肖像表現が展開されたのかを考察します。
ジャン=マルク・ナティエ(1685-1766)《抒情詩のミューズ、エラトに扮したフランソワ・ジュヌヴィエーヴィ・ド・ヴァランブラ・ド・ソンブヴァル(1700-1779)の肖像》、《女性と子どもの肖像》
左・cat.91 ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアーリ)(1528-1588) 《女性の肖像》、通称《美しきナーニ》 1560 年頃 油彩/カンヴァス 119 x 103 cm/中・cat.89 フランスの画家 (?) 《肖像》、通称《フュズリエ爺さん 19 世紀初頭 油彩/カンヴァス 97 x 70 cm/右・cat.86 ニコラ・ド・ラルジリエール (1656-1746) 《パリ市参事会員ユーグ・デスノの肖像》 1704 年 油彩/カンヴァス 136 x 102 cm 各、パリ、ルーヴル美術館 絵画部門

【 3a :男性の肖像―伝統と刷新】

中・cat.89 ―男性の制服は、皇帝一家に仕えていたことを示している。 「暗緑色」 の燕尾ジャケットとキュロット、金の縁飾りがついた大きな襟と袖、緋色のラシャのベスト、そして皇帝の紋章が入った金色のボタンといった特徴である。 右・cat.86 ―この肖像画は、パリ市の行政機関が後世の人々に伝えることを目的に、集団肖像画を定期的に注文することが、16 世紀より伝統となっていた。 1702-1704 年にかけてパリの参事会員を務めたユーグ・デスノの肖像画は、モデルの社会的地位を象徴する見事な法服の襞を、また、職務を示すシンボル、書状をこの司法官の左手に、画家は巧に美しく描きこんでいる。

【 3b :女性の肖像―伝統と刷新】

左・cat.91 ―この貴族の女性は、鑑賞者と目を合わせないように慎み深く視線をそらして、恥じらいを見せている。 薬指に結婚指輪をはめた左手は薄いヴェールを優雅につまみ、右手は夫婦間の忠誠のしるしとして胸の上に置かれている。 こうしたことによって、この肖像は彼女の模範的な性質、すなわち社会的身分の高さ、外見の美しさ、そして精神の美徳を表し、ベニスのモナ・リザとも云われる。 この作品は、様々な要素から個性的でオリジナルなものとされている。

ルーヴル美術館

ルーヴル美術館長ジャン=リュック・マルティネズ

「ルーヴル美術館」 ジャン=リュック・マルティネズ (ルーヴル美術館 館長)
© pyramide du Louvre, arch. I. M. Pei

開会式 【主催者フランス代表 挨拶】 ジャン=リュック・マルティネズ (ルーヴル美術館 館長)

…林 文部科学大臣、青木館長、日本テレビ放送網大久保社長様、ローラン・ピック大使閣下、ご来賓の皆様、本日、東京で 「肖像芸術」 に焦点を当てたルーヴル美術館展開催を皆様と御一緒させて頂くことを光栄に思います。

 本展は、フランスと日本の友情を祝福する展覧会であります。 相互に魅了し尊敬と称賛で結ばれてきた友情は古く 2018 年日仏友好 160 周年を迎えています。 その中でも日本の皆様がルーヴル美術館に対して熱い思いを持っていただいていると、私たちは感じています。

 1990 年代からルーヴル美術館は日本テレビ放送網と模範的なパートナーシップを結んできました。 《モナ・リザ》 と 《ミロのヴィーナス》 の展示室の改修、そして、《サモトラケのニケ》 の修復の際に日本テレビ放送網のご支援をいただきました。 さらに、2012 年このコラボレーションを継続していくことが決まり、ルーヴル美術館寄付基金の中に日本テレビ基金が設立されるに至りました。

 このように、日本テレビ放送網は私たちの美術館に長期的な力を注いでくださることになるのです。 また、複数の展覧会を開催することはこの提携関係において大変重要な事でありますが、そのおかげで日本におけるルーヴル美術館とそのコレクションのプレゼンスは確実なものとなっています。…【No.1 拡大ページに続く】

「ルーヴルはフランスの歴史」 ―約 830 数年間の歴史が語る ―

中世のルーヴル 国王フィリップ 2 世が、1190 年頃、十字軍の遠征に参戦し、国を離れる際、パリ防衛のため都市計画として城壁の建設を始める。 ルーヴル城はフィリップ 2 世の時代、王の住居ではなく守備隊のための城塞であった。 その後、ルーヴル城はフランス国王の住む宮殿として、増改築が繰り返されることになる。

国王の住居としてのルーヴル イギリスとの百年戦争が終わった後も、歴代のフランス王はルーヴル城ではなく、ヴァル・ド・ロワール (ロワール渓谷)で過ごし、パリに戻るのは年に数回だけとなった。 フランソワ 1 世 (1515-1547 年) は、首都を再び掌握したいと考え、1528 年に公式宣言を発表して国王の主な居を首都に定めた。 フランス・ルネサンス期を代表する国王で、治世にフランスの美術・文芸は重要な発展を見る。 美術品の収集にレオナルド・ダ・ヴィンチ 《モナ・リザ》 など残されている。 1546 年、フランソワ 1 世はルーヴル城をルネサンス様式の壮麗な建物への改築を決定したが翌年に死去した為、改築工事は息子のアンリ 2 世に引き継がれ、完成に約 1 世紀を要した。

ブルボン朝の再開発 ブルボン朝初代国王アンリ 4 世 (在位:1572-1610 年) は、首都パリの大規模な再開発計画を実行し、パレ・ロワイヤルやルーブル宮殿の大ギャラリーを建設、アンリ 4 世は、あらゆる芸術家・工芸家を招いてルーブル宮殿に住まわせ、創作活動を行わせた。 アンリ 4 世が 1610 年、狂信的なカトリック信者によって暗殺され、幼くして即位した国王ルイ 13 世はブルボン朝で初めてハプスブルク家と政略結婚をした。 1643 年 5 月、ルーブル宮殿で 41 歳に崩御。 その後わずか 4 歳で、のちの太陽王ルイ 14 世が即位し、絶対王政を築く、ルーヴル宮殿の拡張工事が行なわれたが、1661 年に、狩場のヴェルサイユの地の小館を造営し、正式に王宮をヴェルサイユ宮殿に移す。 王族が不在となったルーヴル宮殿は、芸術家たちの住居兼アトリエとして提供された。

権力者の舞台ルーヴル 1789 年、20 万人のパリ民衆がヴェルサイユ宮殿に進行し、国王ルイ 16 世をパリへ連行、フランス革命を呼び起こした。ルーヴル宮殿は民衆に奪われ、共和国美術館は、王室コレクションを公開した。 1803 年、ルーヴル美術館は、「ナポレオン美術館」 へと改名され、スペイン、オーストリア、オランダ、イタリアなどの美術品が収蔵された。 ナポレオンが皇帝の地位を追われると、1814 年 5 月、国王ルイ 16 世の弟ルイ 18 世が、チュイルリー宮殿に入り、王政復古の時代が訪れる。 1848 年の 2 月革命でルイ・フィリップを最後のフランス国王とする王政が崩壊し、第 2 共和制が成立、大統領になったルイ・ナポレオン・ボナパルト (ナポレオンの甥) は、ルーヴル宮殿の新しい展示室の落成式を行った。 その後、皇帝ナポレオン 3 世は、ルーヴル宮殿の大規模な増築工事とチュイルリー宮殿をつなぐ工事が完成した。

近代のルーヴル 1871 年にチュイルリー宮殿が炎上し、 第 3 共和制の大統領は、代々の国王や皇帝が住んでいたチュイルリー宮殿ではなく、もっと地味なエリゼ宮を公邸にすることを決めた。 1882 年に政府はチュイルリー宮殿の残骸を撤去を決め、以後、この場所には美術館としての役割を果たすようになったルーヴル宮殿だけが残されることになった。 1983 年、当時のフランス大統領ミッテランが推進した 「パリ大改造計画」 の一環である 「大ルーヴル計画」で建物が改築され、宮殿全体が美術館になった。 1988 年に、「ナポレオン広場」 にガラスのルーヴル・ピラミッドが落成した。



お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会サイト:http://www.ntv.co.jp/louvre2018
国立新美術館サイト:http://www.nact.jp
主催:国立新美術館、ルーヴル美術館、日本テレビ放送網、読売新聞社、BS日テレ

後援:在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本
特別協賛:野村證券
協賛:大成建設、大日本印刷、損保ジャパン日本興亜
協力:エールフランス航空、KLMオランダ航空、日本通運、JR東日本、CS日テレ、
ラジオ東京、J-WAVE、文化放送、TOKYO MX、テレビ神奈川
企画協力:NTVヨーロッパ

参考資料:「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか 」図録、PRESS RELEASE & 報道資料 、他。

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